上機嫌なわたしの記録

ダイエットや美容を頑張ることで、自分がたのしく生活できる環境をつくりたい。自分の上機嫌のために毎日頑張ります。

自己肯定感を高める方法

今日書きたいことをひとことで言うと「自己肯定感を高める方法」に尽きるんだけど、自分で書いてても「な、なんだこのうさんくさ詐欺本のタイトルみたいなブログ〜〜〜〜〜〜〜〜!」ってびっくりしちゃった。

まあこのブログは書いてるのただのOLだし当然お金もかからないので目に止まった方は暇なとき適当に読んでもらえれば。当時のわたしみたいに毎日モヤモヤ考えてる人の解決の手助けにちょっとでもなればとも思ってます(こういう文が胡散臭さを増す)

 

 

 

さて早速ですが、自己肯定感、大事ですよね。

自己肯定感って何?なんで大事?これがないとどうなるの?って質問攻めにされたらどう答えていいかわからなくなるようなワードではあるけれど、ふわっとまとめると「自分は自分のままでいいと思えて、ありのままを認められて、自信のある様子」かなと思います。みんなよく分からないままに自己肯定感は大事、って思って努力しているような気がする。

 

このブログいちばん最初の記事を読んでもらえればわかると思うんですけど、当時のわたしの自己肯定感というものはド底辺で、どれくらいかというと何に悩んでるかもわからないのに毎日自分が他人より劣っていると真剣に悩み涙し落ち込んでいるレベルでした。うつ病なんじゃないかと思って精神科にもかかった。つらいしゴール見えないしわたしはもう自己肯定感なんてものは得られないまま死んでいくんだろうなとか真剣に考えてました。

今はどうかというと、わりと自分のことは好きな部類に入ると思うし、悪口を言われているんじゃないかって不安になったりとか、人より劣っているんじゃないかと考えたりとか、そういうことは一切無くなりました。考えたとしても生理前に酷すぎるPMSが来た時くらい…?でもそれも思い出せないくらいにここ最近そんなこと全く考えてない気がします。

 

個人的になんでそこまで思考が変われたのか、自己肯定感が高まったのか、思い当たる点がいくつかあるので備忘録として書いておきます。よかったら今つらくて悩んでる人も参考にしてね。

 

 

 

①「自己肯定感」「好きな自分になる」というワードを含む情報を一切遮断する

お〜〜〜〜〜い、そんなこと言ったらこのブログもここで閉じられちゃうじゃん!!!!!って自分でツッコミ入れたけど、でもこれは本当に大事だし、むしろこれだけやればある程度は自己肯定感底辺という状態からは脱せるんじゃないかと思ってる。

自己肯定感というワードが注目されているこの世の中、ネットでも本でも、至る所にこういう情報が溢れているように感じます。病んでいるときに自らネットで「自己肯定感 高める方法」「自分 好きになる 方法」みたいなことを調べちゃう時もあるだろうし、そんなことしなくても本屋に行けばそういう類の本が面陳されてる。

確かにそのサイトや本にはいい情報がたくさん載っているのかもしれないし、実際にわたしもいくつもの情報を読んで試して効果ある!って思ったりしてたわけだけど、それって結局情報に依存してるだけだなということにある時気付いて。

考えてみても欲しいのですが、そういう本を書いてる人って「悩んでる人がいないとお金にならない」ですよね。現代社会において自己肯定感が低いことに悩んでる人なんていくらでもいるから大丈夫だよと言われるかもしれないけど、こういう業界って結局はリピーターによって成り立ってるんじゃないかなとわたしは思ってしまうんですよ。信者じゃないけどさ。それっぽいことを本にして、この人の言ってることは正しい!と思わせて、その情報を試してある程度うまくいくようにさせて、でも結局は他人の意見を真似してみただけでその人自身が成長したわけではないからまた同じことに悩んで戻ってくる、みたいな。蟻地獄よ。

そんなことしなくても、というか、そんなことはしない方が絶対にゴールは近付くと思います。

自己肯定感に悩んでしまう人って「考えすぎちゃう人」が多いと思っていて。だって別に誰になんて思われてようと生きてはいけるわけだしそんなこと考えて生きてるのめんどくさいじゃん、普通。めんどくさいのに自らずっとめんどくさいことを考え続けてるんですよ。めんどくさいね。めんどくさい。

しかもね、考えすぎちゃうからずっと頭がモヤモヤするんですよ。いや、そりゃそうだって話なんだけど。そのことについて考えることをやめればモヤモヤすることも落ち込むことも無くなるのに、自ら解決するために情報を得ようと努力し、そのことで頭をいっぱいにしてしまうわけです。解決するために、必ずしも答えを見つける必要なんてないです。逃げること、考えないこと、それが正解なときってたくさんあります。今回はそのパターンです。

自己肯定感というワードを含む情報を一切遮断すると、いつの間にか自己肯定感というものについて考えている時間が今までよりぐっと短くなります。もちろん最初は落ち込んじゃうときもあるんだけど、しばらくしてから「あれ?前ほど自己肯定感のことについて考えてないぞ?」って気付くはず。嘘みたいだけど本当だよ。やっぱり人間アホなんですかね、自ら考えようと思わなければ大してそのことで思考がいっぱいになることもないです。自己肯定感について調べてると、いつのまにか自分に対して「自己肯定感の低さに悩んでいる人」っていうレッテルを貼っちゃうからね。よくないよくない。嫌なことは忘れていいし、考えなくていい。あの時どうしてこうなっちゃったんだろうなんてことも考えなくていい。逃げ続けてたら意外と楽になることもある!改善するために何もしないって勇気がいることではあるんだけどね。1回この言葉から離れてみるのも大事だなと思います。

 

 

②他人の評価を期待しない

これはそのまんまで、他人ありきで自分を評価するのは良くないなという話です。○○が素敵だねと言ってくれたからこの服は素敵、○○がかわいいと言ってくれたからわたしはかわいい、そういう他人ありきの思考は疲れると思う。

褒められるのってもちろん嬉しいし、言葉にしてくれた人への感謝の気持ちももちろんあるのだけど、結局は自分が自分に対してどう思うかであって、他人の評価は必要ないわけです。お仕事じゃないんだし。

自分が素敵だなと感じたからその服を買ったんだから、他人に褒められようと貶されようとその服は素敵なんですよ、絶対に。周りからどう思われるかなという気持ちより、お店でその服を見つけた時のトキメキを大事に生きていけばいい。

それに顔面に関しても、かわいいって言葉だって基準めちゃくちゃ曖昧だから。だって指原莉乃さんをブスっていう人いるんだよ?有り得ないじゃん。どっからどう見てもあの人は美人じゃん。僻みで言ってるのか好みのタイプじゃないから言ってるのか性格が苦手だから顔も悪く見えてくるのか理由はわからないけど、あの顔を持ってしてもディスられることってあるんだから、一般人の我々が他人のかわいい/ブスの評価を気にするのなんて馬鹿馬鹿しいんですよ。何が理由で外見のジャッジが下されてるかなんてわかんないし。そもそも他人のことを外見でしか評価できないような人間、関わってもいいことないですしね。

他人からの評価を気にする必要ないやと思うと、自然といいところが見つかったりするもの。といっても、ディスられたときは盛大に落ち込んでいいと思うし、その人のこと嫌いになっていいと思う。そこで落ち込むな、悩むな、なんてのは無理だから。でも、こう思ってるんじゃないかって自分からマイナスな感情を探りに行く必要なんてない。他人は対してわたしに興味無いし、内面も外見も、わたしはわたしが最高だと思ったものを身にまとって生きてけばいいや〜って気楽に考えるようにしたらすごく人生楽です。

あとは、「褒めてくれる人や認めてくれる人を探す」んじゃなくて「自信をなくさせようとしてきたり貶したりしてくる人から距離を置く」方がいいですよ。褒めてくれる人や認めてくれる人を探すのってまあ難しいから。家族やパートナーだって常に褒めてくれるわけじゃないし認めてくれるわけじゃないし、そもそもそれで得られた自信って、結局はその人の言葉や思考への依存であって、本当に自分に対して自信が得られた訳では無いと思うんですよね。もちろん褒めてもらえたら嬉しいからその言葉は素直に受け取って思う存分喜んでいいんだけどね!そこだけに依存するのは怖いなと。自分にとって悪影響になる人からそっと離れるだけで十分だたと思う。悪意のある人から得られるものはないので、そこからだけ逃げましょう。そういう人を排除した世界は、意外とわたしたちに優しい。

 

 

 

以上!シンプル!

でも確実に改善するしいつのまにか自己肯定感に対する悩みが全くなくなっているので嘘だと思って試して欲しい!

 

伝わるかなあ。みんなで楽しく生きようね。